ペーパーフラワーを作ることができて心から良かったと思うことが
ありました。父を見送るというプライベートなことなので迷いましたが、
書き残しておきます。
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私がペーパーフラワー講師の活動を始めてからの年月は母の介護と見送り、
その後どんどん力を失くしていった父の世話と介護の年月でもありました。
ほんとうにこの数年はいろいろあって。
昨年12月、父が天に還りました。
娘と一緒に施設を訪問して一週間ちょっと、次は妹が数日後に訪問、という
タイミングでした。
いくつもの病を抱えていたのに、そのどれでもなく、
就寝後の老衰による大往生でした。
夏頃から徐々に緩やかに着地点に向かっているように感じていたので、
そろそろかなぁと話してはいましたが、やはり悲しみや喪失感は大きいもの。
それでも喪主としては父を見送るために悲しむ間もなく次々と、怒涛の如く
押し寄せる物事を決め、電話をかけ、指示を出し、と無我夢中でした。
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お別れ花について担当者や妹と打ち合わせた時に、忘れていた記憶が
蘇りました。 世にいろいろな花がありますが、父はトケイソウが好きな
人でした。母も私も妹も、「え〜⁈」とびっくりして口々にありえない、と。
あまりに騒ぐ私達を前に父も、「なんでだ?鮮やかで、きれいじゃないか」
「ユニークで面白い花じゃないか」と必死に抗弁したけれど受け入れられず。
あの見た目、控えめに言ってユーモラス、と言えないこともないけれど…。
好きな方には申し訳ないけれど、なんというかあのコントラストの強い
ギョロギョロした目玉のような花を好きだ、という父の趣味は却下され、
我が家の庭にトケイソウを植えることだけは免れたのでした。
そんなことを思い出したのですが、当然トケイソウはお別れ花になく、
次に好きだったらしい青いガーベラもなく、この時期手に入る好きだった色の花
を用意してもらうことに。
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ようやく一段落つき、自宅に戻ってぼんやり私の分の副葬品を考えて
いた時に、青いガーベラを作ろうと思いつきました。
時間が限られていたため、新たに型起こしが必要なトケイソウはここでも
なしで、作りなれたガーベラを3輪だけ。
花を創り出せる人で本当に良かった…と心から思えたことでした。
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父が一番好きな花は多分トケイソウではなく、オーソドックスにバラかな?とも
思うのです。 カメラが趣味で、いろいろな花の写真を接写から望遠まで様々に撮っては
悦に入っていた姿を思い出します。
そんな手芸で人様のお金をいただけるのか?主婦なんだから家族に迷惑かけないように、
と元気なときは懐疑的だった父が、
晩年は作ったものや展示会の写真を見せるたびに、すごいな、がんばってるなぁ、と
言ってくれるようになったのは、とても嬉しいことでした。
でも反面、昭和のモーレツサラリーマンとして社会に貢献し家族を支えてきた
気概と自負が失われ、己の残した爪痕を自分で静かに消し去っているようにも
感じ、物足りなくさびしくも思ったのでした。
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